私は、大風呂と少人数学級が嫌いだ、大風呂については、周りのスタッフは女性ばかり、死角なんだよ。

イジメというより、凄惨なリンチかもしれない、少しの齢の差で、お山の大将になったやつが、命令する。

いつまでもつか、風呂に頭をつけられたことがあるか?

あいつらは、笑いながら見ていた、時には指名され、怨みもないのに、殴り合い。

そのため、私は同窓会も同期会も一度も出ていない、会ったら殺意がわく。

ただ、なぜか終わった後のもめ事で、いつも相談を受けた、なんだかね。

ただ、ある日方針が変わったのを知った、知り合いの看護婦に聞いたら、追跡調査の結果間違いとわかった。
でも、貴方達の貴重な経験が、約に立ったのよと。

怒る気もなかった。

まだ、そのころは、同期が個人的に集まっていた、その話をすると「俺たちはモルモットだったんだ」と笑い話になったが、人間どこかで、笑い話にしなければ持たない。

しかし、ふと聞いてはいけない事を、聞いた、当時の写真はすべて燃やした、文集を燃やした、強制的に書かされていた日記を燃やした、みんな何かしら過去を断ち切る、儀式のような事をしたのだろう。

私は、奇人変人だったので、違う方法で清算した、病床数が減り始めていたし、いつかここは無くなる、それまで付き合った。

ちなみに、法律上小児科の初診は16歳までだが、継続治療は限界がない。

進んで、モルモットを引き受けた、新薬が真っ先に使われる、指定病院だしね。

生意気な、プロ患者だから、処方薬の説明書を必ず受け取った、普通処方薬に説明書があるのは気が付かない。

そして、おかしな副作用があれば、必ず何人か変わった主治医に、こういう症状がでたから絶対製薬会社に伝えてくれと。

何十年かかったのかな、最後の日、最後の患者になった、カルテ番号は636番、もう一万桁を超えていたが。

最後の最後で、カルテをよこせと言ったが、ダメだった、紛失したことにしてカルテよこせといったが、しかし最後の主治医が、横で聞いていて、コピーなら大丈夫ではないかと、莫大なコピーだったが私の人生の一部だ、そして気が付いた、単純にレントゲンの検査結果を足したら、驚いたな、原発作業員の比ではない、他のカルテも調べてみたら、よく生きてるな、子供の頃から血小板数が少し高い、私の体の時限爆弾、血栓ができたら、死ぬ。

しばらく、狭心症の疑いで検査もした、何度もしたが、数値が治療に値しない、シンチグラフィーもしたな、放射性物質を体内に、注射ししらべるのだが。

医療用放射線いったい、どれだけ浴びたかわからない、しかしその副作用は全く出ていない。

そういうと、放射脳の皆様になにか言われるだろうけど。

そういえば、最後の同期会、幹事は引き受けなかったが、オブザーバーとして、今までのもめ事が起こらないように、かなり細かく指示をした。

ただ、余剰金が出たと言われたときは、どうしようか迷ったが、必ず専門の学会があるから、寄付するように伝えた、有志一同、そこで暮らし生きた最後の証しとして。

実行してくれて、すべて終わった、長い人生のケリのつけ方だな、我ながら呆れる。

ただ、そういう人間を敵に回して、畳の上で人生を終えられると思うな。

12歳の闘い、そして勝利した人間として、黒川滋先生に忠告しておく、例え我が身が先にいこうとも、必ず地獄へ案内しよう、せめてもの手向けとして。

「墓碑名はもう決めてある」「一匹のモルモットここに眠る」