入院施設の専門病院も、中々すごかった。

夕食は夕方の五時、子供も様々な、貸し借りがある、清算は禁止されていた、おかずだった。

見つかれば、罰をうけるが、みなそのあたりは心得ていた。

ただ、消灯時間は夜の九時、腹がへるので、歯磨きチューブを舐めるのが、流行ったな。

外出はもちろん禁止、時々脱走騒ぎが起こった、みななんとなく、外に出てしまう。

スタッフは親切で、充分そろっていたが、基本が間違っていたら、どうしようもない。

私は、なぜか新聞を木のホルダーに閉じる役目を、進んで引き受けていた、義務ではないが、そういう所では、自分で役割を決めないと持たない。

学校と病院の図書はすべて読んだ、娯楽がないからね、あえて図書係になり、借りはおかずで返していた。

夏休みも、なぜか10日、10日に分かれていた、里心が付かないためだったのだろう。

部活は、絶対取らなければならないが、面白い事に剣道部だが怨みはない、他にサッカーと陸上があったが。

部員と同じくらい、教員がついた、みな段持ち、それも三段、四段クラス、顧問の先生は師範代、だから私は子供の剣道を知らない、技術をみっちり仕込まれた、当時150㎝あったかな?そこへ180㎝で体格のいい先生が、体当たりをしてくる、そりゃ飛ぶよ、ただ怪我はしなかった、一度厳しく教えて、返し技を念入りに教わった。

普通、日本剣道形は五段の審査でしか使わない、なぜか教わった、しかも最初は木刀、師範代の顧問が、ある日、刃引きの真剣を持ってきて、これでしろと、中学生によくまあ。

あれは、重い、当時仲の良かった友人に、何度かあてられたが、笑い話だ。

級段審査には興味がなかったので、段持ちではない。

部員同士の試合がかえって怪我をした、私は下段から一気に左胴打ちと、右面打ちが得意だったが、胴打ちは、怪我をさせてしまうので、封印した、反射的に腕をさげるから、間違って腕を竹刀で打つからね。

続く。