高熱がでで、まっすぐ歩けない。
今でも、原因はわからない。
親も心配して、喘息の専門病院と、養護学校が併設された、施設に一年入った、みんな入院や退院と言わず、入所、退所と呼んでいた。
医療は必ず過ちを犯す、「親子遮断療法と鍛錬療法」いまなら、大問題だ、ようするに、喘息は甘えで起こる。
親子の仲を断ち切り、スパルタで治る。
プログラムを、もう一度教えてあげよう、朝は六時起床、検温が終わると、腹筋、背筋、腕立て伏せ、乾布摩擦、
冬でも、ジャージは禁止、ラジオ体操のあと、毎日1500メートルの持久走。
お金は持ち込めない、本は確か十冊まで、電話は日曜日に三分、面会は月に一度たしか二時間、そのとき外に連れ出したり、なにかおやつは禁止だ。
ナースコールは、盗聴器、すぐにわかった、ナースステーションのスイッチが固定されていた。
養護学校もスパルタ、体育以外に、養護訓練が抜け道、とにかくしごかれ、走れ、走れだ。
購買部はあったが、売店ではない、用紙に必要な物を書き、寮母さんが買ってきて、ツケは親に回る。
テレビは、一時間、ラジカセは確か中学生で一台のみ、人間はそんな環境になれてしまう。
中学生で、日体大の暴力教員に当たった、コンプレックスが酷く、できる子は狙われた。
クラスメイトは、十人もいない、確か二人は女子、連帯責任で、とにかく殴られた。
クラスメイトと言ってもそんなにみんな、仲が良かったわけではない、しかし団結し教務主任と養護主任と、団交、よくまあ中一ふぜいができたものだ。
薄々気が付いていたようだが、飛鳥田革新市政の置き土産、教員の首は中々飛ばせない。
回答は、一冊のノート、しかし、克明にいつ誰がどこで、どんな暴力を振るわれたか、証拠取りだな。
なぜか、私は進んで、書記係になった、ませガキなのと、筆跡から殺されるなら私でいいと思っていた。
残念ながらノートは一冊では、終わらなかった、しかし奇跡だろう一年で暴力教員の首を飛ばした。
12歳の闘い、そして勝った、そういう人間をなぜ敵に回す?
私は、あまり言いたくないが地獄からの生還者。
君のように、甘くはない。
続く。
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